ブーメランの話。

私の頭にはいくつもの
ブーメランが刺さっていると
思っている。

ここで言うブーメランは
空に向かって投げるものでも
ぴっちぴちの男性用ビキニでもない。

こんな意味だ。

自分が発した批判や悪口が、自分自身に当てはまっており、発言した言葉がそのまま自分に戻ってくる現象。 投げた本人のところに戻ってくる、狩猟やスポーツに使われる棍棒の一種である”ブーメラン”の特性から、そう呼ばれるようになった。
―numan「ブーメラン」より引用

「うわーまじかよ」
「引くわー」と思うことを
自分もやってしまっているのだ。

ええ。
存分に、ふんだんに。
そして無意識に。

ではなぜ、そんなことが起こるのか。
ちょっとだけ考えてみた。

おかっぱの個人的なことに限るが
至った結論はこんな感じだ。

「ないわー」という感情を抱く
事象や人物のどこかに
自分を投影してしまっているのだ。

まぁそうだよなー。
自分に関係なくて全く興味なければ
誰が何しようが知ったこっちゃない。

「ないわー」と思うと同時に
「こうすればいいのに」という
アドバイス的なお節介ワードが
脳内に爆誕してしまうんだな。

じゃあ、なぜそんなことが
頭に浮かんでくるのか。
答えはこんな感じだ。

過去の自分も
似たようなことやらかしたか
似たようなことされたか。

要は経験からくる考えなんだな。

けどさ、「うわー」と思われている
張本人はちがうんだな。

生まれて初めてなのかもしれないし
別の発想ができるということ自体
想像つかないかもしれないんだな。

逆に我々の想像を超える
素晴らしい考えが
あるのかもしれない。

経験ある人はどういう結果に
たどり着くのかイメージする。
だから「うわー」と思うし、
身近な人がそうなっていたら
口出しもしたくなるわけだ。

「おまえもやってたじゃん」
って言われたら話は終了だ。
真実なのだから。

では、どうするべきなのか。

関係ない人は放っておく。
「しらんがな」
これ大切。
そんなことより自分のために
時間をつかうことだ。

対象が大切な人の場合は
よほどのことがない限り
そっと見守る。
で、転んだら必要に応じて
フォローする。

ある程度、思うままに
気が済むまでやってみてもらうのだ。
「助けて」と言われたり
明らかに助けなきゃヤバイときは
ばっちり助ける。

赤ん坊を育てていて思うのが
失敗はある程度必要だということ。
幸せに生きていくためには
失敗した経験があったほうがいい。

これは何も
赤ん坊に限った話ではない。

老若男女、何かに対しては
ビギナーなのだから。

わかっている。
頭ではわかっているのだ。
我々がすべきなのは
ブーメランを投げることではなく
フォローしあうことだと。

そして今日も私はブーメランを
振りかぶって……投げる。
(この記事のことね!笑)